いすきですのブログ

いすきですのブログです。詩人になったので詩を書くブログを作りました。よろしくお願いします。メールアドレス→isuki.poem@gmail.com Twitter→@isuki_poem note→https://note.mu/isukidesu

そこへ行こう 旅だから

俺たちのくだらない衣服は時に
アルファベットに成り果てて
建造物の横でたなびいた

俺たちの下賎の古鍵は時に
蟻のように歩き回り
細くのびた煙の中で息絶えた

俺たちは たとえば
そんなふうになるべきだったが
実際の俺たちは
何者にも成り果てず
どこへでも生き延びた

くだらないとつぶやくと
小さな水が湧いて出た
履修登録を済ませて 本屋にでも出掛けると
懐かしい映画が 500円で売っていた

【ライトポエム】去られし型よ、どうか声を

いくつかの大切な催しがあったので
私は急ぎ、そして時刻を確認した  そして
なにか 決して傷ついてはならぬ物のように私は
宙に 浮かべた

そしてまた それは 実際に
単に 浮かべられたというに留まらず
ひなたの ひなたを求めていたのやもしれぬし
また陽炎のように揺らめいてもいた
それは
橋を渡り 深海へ潜り そして

曲がり 止まり 沿い
触れ  吹き  たわみ 
払い  離れ  放され

だが、はたと手を止めてれば 
それは浮かべられていた
刹那 浮かべられていた

円い 円いままの影を落とした
型抜きに浮かべられ  それは 

抜け


行った

【ライトポエム】貧しかった母の子は

新御堂筋を走り抜けて、
住宅街に出た私は、
依然、ただならぬ振動機構にまたがって、
なにか青ざめた雲を見上げていた。

こんな雨上がりの日には
雲がちぎれるように去ってゆく
べっこうの熱を体に浴びて
機構はまた がたりと揺れた

鉄橋の影を閃光のように通り過ぎるとき、
私は こんなことを考えていた。

「貧しかった母の子は 貧しかった母を思い出す
裕福だった家の子は からの感覚でひざまづく」

何に流れゆく先の街で
寄る辺なく 雨を降る

10月31日の詩 歯ブラシはたそがれ

しゃこしゃこと
往復する歯ブラシは
揺りかごめいてたそがれる
咳払いのような
息継ぎのような
はっとした呼吸の後で目を閉じて
夢を見る

「コンパクトな論文を
インスタントな快楽を
ニーズに叶う商品を」

そうあの日
失われた平静が
書庫の奥へと向かわせた日から
僕は天文学者のやり方で
聖者の言葉を星座のようにつなぎ合わせて
生き抜く道を欲しがった
そのための暗闇さえ用意した
まぶたの裏よりずっと濃い
地底のように息詰まる
星座のための暗闇だ

歯ブラシはたそがれる
僕は君のことを考える
君はもう忘れたかもしれないけれど
あの目は未だに覚えているよ
嘘をつくときの目だ
「好きなように生きればいい」
僕の本心を見抜いていたのかもしれない
あれからね、僕は確かに
学校と街と、世界の全部とすれ違っていった……

人生への鉛のような愛着よ
その正体を誰が見破り
どんな名前をつけたのか
今はそれだけを知りたいと思う

ああ、でも、そうだな
もしもそれが分かったら
そのときには論文で
長い、長い、論文で
君に仕返しをしてあげようと思っているよ
実は僕は
まだ完全に諦めたわけではないんだからね

【詩】You Tubeで「公園」と検索したら幸せがたくさん見つかる

今日は結構たくさん人生をやりました。なすべきをなしたっていう感じですね。とはいえ、基本的にやるべきことってのは『まほうの なべ』のオートミールのように汲めども汲めども尽きることなくただ人々のお腹を満たしていくだけのようで、まだ本当にやらなきゃいけないこと、本当に解決しなければならないことというのが一切手つかずなのですが、まあ満腹になってしまえばこうしてサボっても許されるものと勝手に期待しています。誰が僕を責められるか……。

(意味わかんないこと言っちゃいましたが、やるべきことってなんか基本的に終わりがないっぽくて、だからちょっとでも休憩するたびに「サボってる感」あるのしんどくないですか??? って話なんですよね。助けてほしいんだが…)

さて、今日はちょっとだけ幸せのことについて考えました。それ自身は全く皆様が思われるような哲学的な命題ではなくて、「光って」「音が鳴る」「食べると美味しい味がする」の3点セットが全て揃ったsomethingがある日突然開発されてくれねえかな〜みたいな妄想をしていた、という意味です。(私はそれを”本当の幸福”と呼んでいて、大学の2年くらいの頃からずっとそれを探しています。2年目からはLSDに手を出しちゃえば何を食っても幸福達成できる気がして入手に躍起になったのですが、ある日めちゃめちゃヤバい「気配」を感じてからは、一切の活動をとりやめて、この話もまた誰にもしてきませんでした。……もし読者の方で、LSD以外の方法で”本当の幸福”をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただければ幸いです。)

まあ、普通はそんな夢みたいなものあるわけないですよね。よって人生の休憩時間になんの気なしに条件反射でYou Tubeを開いた僕は、蜂とカマキリが戦ったり、ただただねずみが罠に引っかかるだけみたいな、明らかにインターネットになんらかの刺激を求めてひたすら現実逃避する、という遊びをやっていました。これを時間浪費ごっこというのですが、まあ、本当に不毛ですね。

そんなとき、ふと僕はYou Tubeの検索窓に「公園」って入れてみたんですよ。

実は僕、地元はまあまあの都会だったんですが、実家はそんな都会の中心部からちょっと離れた街の丘の上に立つマンションで、なんとその足元には公園が併設されているっていう、ちょっと良いカンジのところで生まれ育ちました。(えへへ!)

まあそのしわ寄せが両親にかかっていて、最寄り駅まで片道30分とかいう地獄みたいな辺境だったんですけどね。わざわざそこを選んだらしくて本当に親には頭が上がりませんが、小さな頃はとにかくマンションを出てすぐ公園で遊べるという素敵に溢れた毎日でして、感謝の気持ちがなお一層強い、みたいな感じです。親という生き物ってほんとすげぇなって今では思いますね。片道30分って、毎日帰りはタクシー使いたいレベルです。

そういうわけですので、現代の生活って僕には公園が足りなさすぎるんですよ。本当に毎日毎日飽きもせずドッチボールやおにごっこ遊戯王やその他無限を遊び倒したあの公園、そう、俺の魂がいつも帰りたがるあの公園! 久々の帰省で時の流れを教えてくれる、いつも背中を押してくれる、大好きな、ちょっと大きなきれいな公園。

公園、公園、公園……。

そんな僕がYou Tubeで公園と検索しだしたことは、しかし、ちょっとした奇跡と言って良いものでした。僕は僕自身の経験を絶対視している愚者ですので、どんだけ賢者が「あの公園良いよ〜」なんて言ってもいくらでもマウントを取る覚悟だったわけですね。「お前その公園の好きなところ100個言えんの?」と井上尚弥のパンチみたいに早くて鋭い攻撃を、公園に限って僕はできると信じています(まあ、パンチはマウントではないですが)。

でも、ひとことでいって、僕はもう限界だったんです。公園欠乏症は、僕の体を極限まで蝕んでいると言って良かった。僕はいま大都会に住んでいて、ここも本当に良いところです。でも住み慣れてきた頃になって、また次の転居の話が見え隠れしてきました。

公園へのノスタルジーと、次の一歩(かは大いに疑問ですが)を踏み出さなければならないプレッシャーとの挟み撃ち……LSDもとい”本当の幸福”のことを考えてしまうのも無理からぬことであります。もっというと人生そのものがギリギリいっぱい、ほんと墜落しないギリギリの、エンジン一基潰れて飛んでる飛行機みたいなもんですから、とにかく現実逃避の選択肢ばかり見えてしまうんです。

そうして僕は信念を曲げて世界にあふれる公園の光を受け入れることにしました。ま、半分くらいは公園成分を動画で摂取するという発想が単になかっただけなんですが。

するとですね、コレ本当に驚きました。なんと公園動画、めちゃめちゃ大量にアップロードされているんですよ。まじでビビるくらい。しかも再生数がこれまた尋常ではなく、ちらっと見ただけで1800万回とか1900万回とか再生されているんですね。僕はかつでゲーム脳だった頃、同時にニコニコ動画にも完全にのめり込んでいたのですが、当時はちょうどマクドのドナルドが登場するCMにキチガイじみた編集を施した動画がニコニコ史上初の1000万再生を突破するかしないか! というお祭り騒ぎのど真ん中でした。あの頃の熱量は本当に地球を破壊するくらいのエネルギー(実際にそんな動画が流行っていた)だと思っていたのですが、まあざっとそれの倍くらいあるわけです。だから僕が震えながら「あのドナルドの倍くらいキチガイな公園なのか…?」とおっかなびっくり再生ボタンを押したのは、用意にご想像がつくことかと思います。



だが、そこにあったのは幸せそうな母と子の、ごく当たり前の日常風景だった。それも脚色など一切ありそうにない、ごく自然で、力みなく、風に吹かれてそよぐ木々の枝葉が奏でるなんでもない環境の音そのもののような日常だった。僕の目の前で繰り広げられたのは、あのドナルドの洗脳まがいの「らんらんるー」が如き狂騒ではなく、ただの笑顔、ただの笑い声、ただの美しい公園だった。「総天然色」とあえて言ってみたくなるような、色付きであることに感謝したくなるような、そんな不思議な世界だった。

僕は極めて退屈なものを見たとでもいうような仕草で、ふんと一度せせら笑ってから動画を閉じた。だが、実際には僕は続きを見ることがもうできなくなっていたのだ。

そこには、求めていたものはなかった。だが不思議と、僕が本当に求めていたのはこれだったのかもしれないと思わせるものがあった。それは本当ならば静かで優しいもののはずなのに、僕には暴力じみた勢いで心に飛び込んでくる銃弾のように卑怯で避けがたいもののように思えた。実際、僕は自分が本当に求めているものがこれだとは認めたくなかった。だが鉄砲に勝つことなんてできないから、僕は踵を返して逃げだしたのだ。背中を撃ち抜かれないことを祈るおまじないを、心の中で何度も何度も繰り返しながら。

一週間の詩のまとめ / 詩人になったときのこと

こんにちは こんばんは おはようございます

愛する読者の皆様、今週も日曜日になったのでゴキゲンに詩を更新したいと思います!!!!!!!

それにしても、もう9月ですね~。なんか蝉もめっちゃ静かだし、ここからだいたい1ヶ月ほど、クソ暑いのになんとも言えず無個性な「なんか『無』の暑いやつ」が来ますが、バテずに行きたいところです。

 

さっそく今週の詩のまとめです。今振り返ってわかったのですが、今週は「なんなんだ週」でした。というのも、なんなんだってキレてる詩がいっぱいあるんですよね。野性的でステキ!とお思いになられた方は個人的にご連絡をください。

 

  • 8月26日の詩

強さって、盗んだり奪ったりせずとも生きていけることを言うと思うな。 しかしそうだとすると、僕は甚だ弱くて仕方ない。本当なら与えられなかったはずのものまで不正によって手に入れて、日本の法ではどんな罪にもならないと言って、だったら、これって一体何なんだ。

(コメント:これって詩というか、人生の感想文みたいなもんですかね?)

 

 

  • 8月26日の詩2

ビアガーデンよりも歯ブラシガーデンに行きたい。
自分に本当に合った歯ブラシを探すというのは、
とても難しいことだ。

(コメント:その通り。そして歯ブラシガーデンに行った二次会に、あなたは歯磨き粉ガーデンにも行かなくてはならない。)

 

 

  • 8月27日の詩

今日はお昼に食べすぎた
馬鹿だから
夕飯に何も備えないで帰って来ちゃって
お腹が空いて寝れないな
そんな日には あのときのことを思い出す
同じく眠れなかったとき
そうあの頃 ひとたび眠れば
もう二度と
目覚めなくていいと思ってた頃
ああ今はもう
腹さえ満たせばいいんだが

(コメント:人生の感想文2。私の人生の感想文はこち亀みたいにたくさんあるぞ。)

 

 

  • 8月30日の詩

人はいつも
問うことはできるが
答えることはできない

また、人は時として
知ることはできるが
知らないままでいることはできない

さらに、人は悲しいことに限って
覚えることはできるが
忘れることはできない

けれども、嬉しいことに

私はいつも
タイミングを覚えて連続で青信号を迎える、
そんな些細なことで喜ぶことができるし、
悪を見過ごさない、
当たり前の道徳を知ることができた 

だがこの恐ろしさは一体なんだ?
命の意味を
問うことはできるが
答えることはできない
この余りにいびつな恐ろしさは

(コメント:正しい問いは答えそのものと同値である、と夢枕獏の小説にも書いてありました。ほうほう、確かにそうかもしれない。1+1=2……そもそも等号とは、両辺に置かれたものが相等しいことを意味するもので、左辺の計算を実行した結果が右辺です、などと読むのでは正しくなく、そういった算術的事実が数学の体系に刻み込まれているよ、またはそのように数学の体系を構築しているよ、という一つの宣言ってわけらしいです。答えのない問いは一体何がおかしいのだろう?と書いてあって、なるほどな~と思いました。なんにも頭使ってねえみたいなコメントで恐縮です。)

 

 

  • 8月31日の詩 「北風」

明けない夜はないけれど、
当然ながら、
落ちない日もまたあり得ない。

止まない雨はないけれど、
風はいつでもお前の心のあらゆる着物を引き剥がし、
奪い去ろうと狙っている。

はだかの心は獣になるのを望んでいるし、
泥水にだって抵抗がない。 

そんなときに、
あの日が高く照らしてあって、
お前をやさしく暖めるとは限らない。

(コメント:書いてから気が付いたが「北風と太陽」がまざってる詩。)

 

さて、そんなこんなで詩を書き始めて半年たった僕ですが、実はぶっちゃけ詩人のことをナメていたのでそのことをちょっと書いておこうと思います。

いや、実は、日本には詩人なんてもう一人もいないって思ってたんですよね、半年前。(本気です。)なので無性に疲れてた僕は競技人口1名の種目に乗り出して自動で1位をかっさらい、これでおれもやっとナンバーワンになれたんだ!おれが本物の、世界に一つだけの花!と、最低のやり方で心の安定を手に入れようとしていました。

 

「ママ、おれ詩人になるよ」

早速母親にもLINEをいれます。(マザー・コンプレックス)

「いいよ。」

世界最速の詩人承認。人生に勝利!

悠々詩人になったいすきちゃんは、威風堂々と歩みを進めていくのでした。

 

…が、幸せな暮らしは長くは続きませんでした。実は以前から何となく体の具合がおかしいぞ?と異変を抱えていた僕は、入念なチェックの末、およそ一週間前、自分がとある病に罹患していることを、とうとう突き止めてしまいました。

 

それが詩人の中二病詩人中二病です。

 

えっ!僕が!?私が!? そんなことは誰にでもあります。笑えるものから笑えないものまでたくさんあって書きにくいことですが、今回の場合は笑える方のやつだったので、それがせめてもの救いでした。

そうなんです。なっちゃっていたんです。中二病に。詩の天下、三日でとれるのでは? と思ったり、詩の神になって世界のあらゆる戦争を終結させる妄想をしたりしてました。ヤバいですね。

てか、詩人になったきっかけからして甚だ世間知らずなのでは? という突っ込みもあるかもしれません。まあその通りなんですよね……。しかし、世間知らずなばかりでなく全能感もめちゃめちゃあったので段違いにタチが悪いです。

 

ほんと最近になってわかったんですが、詩の投稿サイトってのもあって、そこはマジでめっちゃヤバい人達がひしめきあってるらしいです。マジなんなんだよ、返せよ俺の一等賞、このままじゃ俺は残念賞、すり鉢の底で天体鑑賞。(ビビり過ぎて口調がヒップホップ)

 

まあ……しかし、中二病にも関わらず優しくしてくれた人の親切を思うと、私もめげずに強く生きていかねばなりません。彼らのようなパワフルな詩人は一発で僕を再起不能にできるはずなのに、それをやらないわけですから、裏を返せばほとんど祝福を受けたみたいなものです。

だいたいね? まだ詩を書き始めて半年くらい、つまりゼロ歳の詩人なんです、僕は。それが早くもランドセルを卒業して、中学生になって……そして中二病になった。これってしかし、すごい成長スピードじゃありませんか? 中二と言えばピタゴラスの定理ですよ。ようするに、生まれたばかりの赤ん坊がいきなりピタゴラスの定理を口走るようなものです。唯我独尊モンですね。

 

そうだ、ピタゴラスで思い出したのですが、みなさま、対数関数というのはご存じですか? 関数になじみない方もいらっしゃると思うのですが、関数ってのは数字の書かれた紙を入れると数字の書かれた紙が出てくるブラックボックスのことです。たとえば「y=x」ってのは典型的な関数で、入れた数字(x)がそのまま出てくる(y)バカみたいなブラックボックスのことです。

さて、対数関数ってのはそんな中でも特別な関数なんですが、そうですね、具体例でみるのが一番いいかな。y=log(x)って書いた「log」が対数関数なんですけど、たとえば数字(x)として0.1を入れてみましょう。

 

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ほう、マイナス1ですか…。

 

これだけだとわかんないね。0.5とかはどうだ?

 

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ふーん。

 

 

 

 

じゃあ1は?

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0か、なんかよくわかんなくなってきたな。

Yahoo!にはこの計算は難しすぎたようなので検索エンジンGoogleに変えました。)

 

 

 

 

じゃあ100000くらい、いってみますか(オイオイオイ 死ぬわアイツ)

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えっ!? 「5」じゃん……

 

 

じゃあ1000000000では?

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数字の増え方が雑魚すぎる…

 

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やる気あんの???

 

 

じゃあ10000000000000000000000000000000000000では?!

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え~~~!?!? 

 

 

ちっさ!!!!!

 (10澗が37になっちゃった……)

 

…まあ実は前から知ってたんですが、いまだにびっくりしつづけてるのはガチです。だってあまりに数字が増えなすぎるジャン。

まあこの対数関数ってやつはようするに、ゼロの数をかぞえるやつなんですね。めでたし。

あ!いやいや、なにも詩で勝てないからって文系科目に理系で対抗!みたいなそういう最低のことがしたかったわけじゃないんです。ただこの対数関数、覚えたてのころに必ず流行るジョークがあって、それは「お前それログとらないといけないやつじゃん!」ってやつです。ログをとるってのは対数関数に代入するっていう意味の業界用語です。お分かりかもしれませんが、これは「お前の実力は余りにとびぬけていてマトモに理解することもできないほどです。」と褒めています。1000000000000とかゼロがいっぱい過ぎて意味わかんないけど、ログをとったら12なわけで、ゼロの数をかぞえろって言われたら多少は意味もわかりやすくなりますからね。

というわけで、これでようやく言いたかったことが言えるんですが、本当に詩の天才っているんだなというのがいまの正直な感想です。いやまさに「ログとらないといけないやつじゃん!」状態なんです、ほんと。冗談もほどほどにしなきゃいけませんね。

(あれ?言いたいこと言ったら一瞬で話が終わった…)

 

あ、それからログの定番ジョークはもうひとつあって、それは「お前それ2回ログとらないといけないやつじゃん!」です。1回対数をとるだけでもめちゃくちゃなことになるのに、2回もやったら気ぃ狂いますね。ただ、これも有名な話ですが、実際に2回ログを取らなきゃ何が起こったか理解できないレベルの現象が本当にあったらしく、それは世界恐慌のときのドイツの物価上昇らしいです。

  

 

 

 

 

 

ドイツってスゲエな。

 

 

(おわり。)

 

詩と軽蔑

私は詩人になると言っているのですから、

私のことを本心から侮辱し、

軽蔑して下さい。

私が本当なら失うはずだったものを、

不正によって免れたところを、

あなたは決して見逃さず、

それを私の手から確実にはたき落として下さい。

または、

その罪によって私を徹底的に糾弾し、

声も出ないほど叩きのめして下さい。

一週間の詩のまとめ・原始的な死の感覚・始点と終点が同じであること

おはようございます こんにちは こんばんは

愛する読者の皆様、いつもわたくしいすきですの詩をご覧いただき、ありがとうございます。本日は、一週間書いた詩をまとめようと思います。

 

 

  • 8月17日の詩(未完)

荷物が重くて坂はとても辛かったけど

この街でひときわ高い丘の上で

ずっと遠くまで見えて

それは素直に好きだった

一人きりが寂しくて

あの街の

その向こうまで

やくざな祈りを届けたいと思っていた

実際は

隣人さえも愛することは無かったが

そんな風で

一体何を欲しいのか

それが今では分からない

 

(コメント)

率直に気持ちを書いた詩です。これはお盆休みを頂いて帰省しているときに書いた詩ですので、こういうことになりました。

両親ともに死別したわけでもなく、全然普通にコミュニケーションをとっているのですが、諸事情あって実家はもぬけの殻です。そういうところに帰ると、今になっても色々なことを「考えたい」と思ってしまいますね。時間経過とともに失ってしまったものを、取り返したいのかもしれません。

対照的に、私の中から記憶は失われてゆくばかりですので、私は真空的な情動にかられ、虚しさに苛まれてしまいそうになる時があります。そういうときに書いた詩なので、こういうことになりました。未完なのは、この気持ちを到底書ききれないと思ったからです。

 

 

 

  • 8月17日の詩2

鳴き疲れのセミたちに

白銀に焼ける昼空に

一人ぼっちのおやすみに

初めてそれをしたときみたいな小さなバイバイ

 

 

  • 8月18日の詩

本当に欲しかったものが何だったのか今となっては分からない。

色や形は覚えてるけど、肝心の手触りや感触なんかがさっぱりだ。

それは今はもう思い出なんかじゃなくなって、

ただ知ってるだけの知識のもの。血肉のないもの。

地球の裏の出来事みたいに温度のないただの事実。

記号の羅列になってしまった。

 

(コメント)

ひとたび失ったものは、二度と帰ってくることはない。

万物の流転とはそういったことであろうと思います。

 

 

 

  • 8月18日の詩

どうしようもないほどの孤独、失意、悲哀、悔しさ、怒り、憎しみ、涙、その他全て、全て。全ての重さ。全ての重さよ。

 

 

 

  • 8月21日の詩

明日を恐れて安酒をあおる君の隣で僕は聖書を読んでも良い。

それか散歩に出掛けよう。

良い公園を知ってるから。

それか街に繰り出そう。

素敵な服を探してみよう。

カラオケだって付き合うし、 少しくらいなら飲んでもいい。

 

それでも僕は、

そうして僕は、

君に生きろと言わねばならない。

 

(コメント)

詩を書き始めた半年前から変化のあったこと、それは140文字を足りないと感じはじめたということです。この詩は私にとってとても大切な気持ちが込められた詩ですが、Twitterでいきなり書き始めてしまってどうにも文字数調整に苦労してしまいました。

メモ帳アプリだと「ライブ感」が足りなくてやる気でないんですよね。なんとなくわかっていただけるかと思います。

いつか加筆版を書けたらいいな、しかし、そういうのが多すぎてしまって全く、詩人として優柔不断になってしまいます。

 

 

 

  • 8月24日の詩

夢は終わりと始まりが 一つになった物語

花を手向けてさよならの

言葉にしないで感じるだけで

いま一瞬のこのときが

春の雪解けの結晶の

さりゆくばかりの水流や

秋の枯れ葉の風に舞い

塵と積もる有様のように

自然で小さな人生なんだと

理解してもいいのかな

そんなことを考えています

 

(コメント)

技巧的には、途中に例示を差し挟んでいるところが工夫だと思います。

この詩にはとても大切な信念を込めています。それは、口にしてみれば当たり前のことかもしれませんが、あらゆる命がまったくの自然的に生まれたであろうという信念です。まあ要するに、儚いですね、というだけの話なんですが、私は命の過程が環境的要因の下に「必然」であることに、奇妙な神秘と超越性を感じます。

ああ人間は、雪のあの結晶のように、どうか美しくありたまえ。

 

 

 

総評っていうわけではありませんが、全体的に生き死にや現在・過去・未来の対比、変遷するあらゆる物事たちについての詩が多かったですね。この時期は毎年、ついそういうことを考えてしまいます。

 

来週の更新も日曜日くらいになると思います。というわけで、ありがとうございました!

 

それでは! 

 

 

 

追伸

実は、今日はコミティア129に行ってきました!

もちろん一般参加です。

ツイッターで見知った方の本を中心にたくさんの本を買ってしまいました。

開始時刻1時間前に到着したのですが、既に大行列でした。

前回はもっと普通に遅くに行ったのですが、大好きな席歯多穂さん(当時九時計名義)という方の『苺剣の嘘』が売り切れてしまったのが悲しかったですね。その反省に早めに向かったので、行列を見たときは焦りました。しかし、なんとか新刊を手に入れられてよかったです。

同サークル悪いメイドさんの新刊ももちろん購入しました。悪いメイドさんという方は、私にとって本当に特別な作家さんで、詩人としても非常に尊敬しています。ブログや連載されているなろう小説(自称)も非常に面白いです。しかしまあ、本当に作品は切れ味が違うというか、僕の感性からみると異次元ですね。常々、悪いメイドさんのことをもっと知りたいとか、精神性に触れてみたいと思っているのですが、根本的に人種が違うんだろうな、という感じです。ある意味僕にとっては憧れまでの存在、隔たれた存在なんだろうなあと思っています。

それからノーマークだったのですが、strawberry*kickさんというサークルの『15年の休日』という本を衝動買いました。人生の全ての休日をあつめたら15年にもなる、そうしてみたら、そんなお休みをどうするか? という大変魅力的な書き出しから始まります。中は、主に趣味のものや生活などについてぎっしり文字が詰められています。こういうの、滅茶苦茶好きなんですよね・・・。

サークルスペースには素敵なおじさまがいらっしゃったのですが、あの方が書いていたのでしょうか? だとすると本当に最高だなあと思いました。わたくしいすきですは、基本的に、趣味についてめちゃめちゃ語る人間がとにかく大好き。

そのほか、今回コミティアで買ったたくさんの本のひとつひとつについて、書きたいことがとってもたくさんあるのですが、それについてはまた機会を改めようと思います。

これまでのこと

おはようございます・こんにちは・こんばんは。

愛する読者の皆様、いつもわたくしいすきですの詩をご覧いただき、ありがとうございます。見ての通りとは思うのですが、約一ヶ月間、ブログの方の更新がおざなりになってしまっていました。

 

いろいろあったのですが、とはいえ実は、その間もTwitterはめちゃめちゃ元気に更新していたんですよね。まさに息継ぎ感覚でTwitterをやっちゃってます。現代病です。

(注:これは現代人を揶揄する詩ではありません!)

 

それで、記事にしてなかっただけで、Twitterの方には結構詩を投稿してきました。そんなわけで今日は、そんな詩たちをここにまとめようと思います。

 

んで、何となく思ったんですが、あんまりポンポン記事を連投すると後からちょっと読みにくい、みたいなコメントを読者の方から頂いたりなんかしちゃいまして(へへっ、ついにおらも人気詩人の仲間入りだぜぇ!)、これからは何日分か溜まってからまとめて投稿する感じにしよっかな~~、なんて思ったりもしています。ワサビ!!

 

  • 7月17日の詩

燃え尽きる最後のきらめきで、

消えゆく自分が悲しくて、

ただ精一杯照らすような愛だ。

そんな不純な愛ならば、ただ深く愛しなさいと貴方はきっと言うでしょう!

ゆえに私はそうしたのです。

けれども、惜しみなく愛するのは神だけです。

(コメント)

これは、自分の人生を語った詩です。深く愛しました。

けれども、分け隔てなく、惜しみなく愛することができるのは神様だけです。

 

  • 7月18日の詩

昨日も今日も 明日も明後日も祈るだけ 僕には祈りができるから

 

  • 7月19日の詩

並び疲れた高層ビルが、

足を崩して君を待つ、

肩に雪を積もらせて、

君の笑顔を見るために

(これは、不明の理由で人の居なくなった都市のビルが崩壊し、寂しく雪のようなものが降り積もるなか、もうずっと来なくなった晴れの日を待つ、詠み人知らずの詩、という設定。笑顔を待つのはビルでなく彼だ!)

 

絶対非現実(3.14)

直線は無限だ。

いっぽう円は有限である。

この2つを結びつける極限の痛みは

円周率の神秘性を生み出した。

円周率が厳密に3.14と割り切れる宇宙には、

ブラックホールの代わりに、

永久機関が暴走してできたホワイトホールが存在する。

だが宇宙膨張のほうが早いため、

破滅を免れている

(コメント)

まあこれは円周率が割り切れるっていう煎じのやつです。円周率が割り切れないこと、また詳しく意味は知らないですがその無理性・超越性などといった性質は、この宇宙の基本構造について重大な事実を雄弁に語っているように思えてなりません(これは、理系に無責任な自称詩人の、個人的な見解です!)。円と直線はそれぞれ有限と無限であると勝手に決めつけました。そして、円周率の無限性を、その二つをつなぎ合わせる無茶苦茶の結果であると解釈しました。

もし円周率が割り切れるなら、従って、無限と有限に境界が存在しないことを意味します。応用上大切なのは、永久機関が作れること。その宇宙には密度無限大のブラックホールは存在しません。無限は有限だからです。一方で、湧き出しが無限大のホワイトホールは存在します。永久機関が暴走するからです。しかし宇宙は常に膨張していて、各地域はあまりにも孤独ですから、破滅の定めすらもが絶海に隔たれてしまうのです。

 

  • 7月21日の詩

心配すんな。僕らいつでも百点満点の人生さ。

君はくすっと笑ってそうかしら?とこぼしたら、

ゴッと強い風が吹いて、

僕はちょっとびっくりしてさ、

君なんて全部ほんとは幻で土砂降りのなか、

名前も知らない君と晴天の幻の夏。

 

  • 7月23日の詩

本能がこれは偽物だと理解するから、

私達は満たされない。

問いは本能だ。

理性はそれに従属する。

また安酒を注ぐ。

ゆえに、理性は罪だ。

本能と罪を知らなければならない。

また愛さなければならない。

そして、求めなければならない。

私達はあくまでも、求めなければならない。

 

  • 7月24日の詩

心に染め抜かれた君の名前

海ほどに透明でも

青く満ちるこの星みたいにはなれない

 

  • 7月24日の詩2

雪離れ。

永年草は夢慣れる。

夕暮れ前の夜の予感。

涙の前の体感覚。

さよならの前の目線の先に、

鳥の飛び立つ雪離れ。

 

  • 7月28日の詩

人は儚いが、魂は不滅だ。

我々は長い時をかけて世界に表出した有機物の結晶みたいなものであって、

春を待つ雪のように淡く儚いけれども、

健気であり、

時に人はその姿形の有様を惜しみなく讃えもするだろう。

そんな私達は皆、元は夜空の星だった。

宇宙をさまよう星々の小さなあくびは祈りだ。

 

  • 7月30日の詩

目を閉じたこの深緑は幼い日からずっと同じ小さな救い

思い出と嘘

真実と妄想はぜんぜん混ざり合って一人

みんなは思い通りの言葉を口にする

星のない巨大な夜空

または息の止まらないただ優しいだけの深夜の海洋にそれでも

許さない

そんな言葉が永遠にこだまして離れない

 

  • 8月8日の詩

夕方4時に色のない

市松模様に降り積もる

幾何学講義の秋の暮れ

ひとけないまま先生と

授業はずっと進んでいった

人の理解を拒むため

野の紅のベールは舞って

先生と僕は

深くため息をつきました

小さなむしの駆け抜ける

後をずっと追いかけて

もう寒い 冬の日へ

 

  • 8月9日の詩

メンタルがクソ終わってしまったとき、

泊まりででっかい風呂へ行く。

できれば人が少ないのがいい。

何者か知れない中年の一人だけ先客が居るくらいがいい。

「いいお湯ですね。」

唐突に話しかけて、

はいそうですねと返してくれたら嬉しい。

翌朝のバイキングで簡単に挨拶を済ませ、別れる。

 

  • 8月9日の詩2

眠ったら、

風になってここを消えてしまいたい。

換気扇をぐるぐる巡って外へ。

開放的だろうなあ、

風になって吹いてしまえれば、

この町もこの季節も、

この世界全部、

風の吹かないところはないんだから。

 

  • 8月11日の詩

生と死と青春とその詩

(踏まれすぎた韻にあるのは呪いなんだと君は言う)

あの日写真に収めた街で暮らしているよ僕ひとり

 

  • 8月15日の詩

今日はなんにもしなかった。部屋の真ん中に寝転がって、力を抜いて、なんにもせずただ生きてるだけ。 それでも、両手のひらは重力に逆らい、何かを優しく包むように、自然に半分ほど握られていた。これは存在そのものの歪さなのかな。生きるだけで侵してしまう重力の法則よ。

 

さて、おしまいまで読んでくれてありがとうございます。僕は本当に詩を書くのが大好きで、こういうものを書きました。実は同じくらいコメントを書くのも好きで、とにかく語りまくりたい気持ちがたくさんあります。

今後はそういうこともしていきたいですが、すっかり真夜中になってしまったので、美と健康を気遣ってそろそろ寝ようと思います。ウフっ!

 

あ! それから、わたくしいすきですはTwitterもやっております。なんとこちらのTwitter、フォロワーさんが100人を超える大人気ぶり! 1クラス35人くらいの小学校の3クラスぶんに相当する人たち全員が、僕の詩をフォロー! これはもうやるっきゃないね、Twitter!!

ありがとうございました。

ぼくは

ぼくは哀れなゴキブリです。
(自己肯定感を幾度となく損ない、また何度も立ち上がることを繰り返したとしても、ただそれだけで人が強くなるということは決してない。彼らは痛みを知る代わり、実際には負け慣れるのだ。私達に本当に必要なのものは、絶対に負けを認めないという狂気じみた執着だ。)

7月15日の詩2 僕って詩人かい?

これまで歯ブラシと歯磨き粉をそれぞれ別のところに置いていたんだけど、さっき、同じところにある方が便利だと思って、そうしたんだ。(僕って詩人かい?)

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7月15日の詩 私からあなたへ

三つ葉はそれぞれ北東西を指していよう

あなたが背を向く太陽は

新緑にあたたかく慈しみ注ぎ

帰ることのできない蟻の旅路に心ばかりの慰めを添える

日傘の四つ葉は眠り場所の名を与えられ

行き倒れた者たちの碑銘の無い墓石となる

私達は、そういうところに立っていよう

 

私からあなたへ

7月13日の詩 命のジオラマ

山間の 若葉の雪の夕焼けの
白々しいまま錆びてゆく
言葉に陰の掛かるまま
眠り隠れて 星とみる

海岸と 惑星の声の両輪の
集散される憧憬に
駅の絵画に名を付けて
行く手知らぬまま 別れを告げる

煙ゆく 常緑の磁場の航海の
蓮の台に至るべき
去れば都と思うまま
語り終えて 一人

7月12日の詩 君に

お前あんな奴らのことを絶対に許すなよ。

いいかい?

あんな奴らのことまで許しちゃって「なあなあ」で人生やってもなんにも満足できないよ。

否定なしの肯定なんてくだらねぇ馴れ合いのままごとだ。

いいかい?

連中、反吐が出るって思いな。

惨めでもくだらねえって吐き捨てな。

7月11日の詩 研究生活

メンデレーエフの仕事みたいに

この落ち葉の山を分類してさ

ぼくらふたりで

いまからこれは宝の山さ

これからの僕ら研究に生きよう

横断歩道の3つ目の解釈

雲の形と晩ごはんの相関関係

気圧と君の機嫌 寝言の統計

共同生活の実験もしてさ

ふたりで論文を書こう

まだ僕ら知らないことがたくさん