いすきですのブログ

いすきですのブログです。詩人になったので詩を書くブログを作りました。よろしくお願いします。メールアドレス→isuki.poem@gmail.com Twitter→@isuki_poem note→https://note.mu/isukidesu

【詩】You Tubeで「公園」と検索したら幸せがたくさん見つかる

今日は結構たくさん人生をやりました。なすべきをなしたっていう感じですね。とはいえ、基本的にやるべきことってのは『まほうの なべ』のオートミールのように汲めども汲めども尽きることなくただ人々のお腹を満たしていくだけのようで、まだ本当にやらなきゃいけないこと、本当に解決しなければならないことというのが一切手つかずなのですが、まあ満腹になってしまえばこうしてサボっても許されるものと勝手に期待しています。誰が僕を責められるか……。

(意味わかんないこと言っちゃいましたが、やるべきことってなんか基本的に終わりがないっぽくて、だからちょっとでも休憩するたびに「サボってる感」あるのしんどくないですか??? って話なんですよね。助けてほしいんだが…)

さて、今日はちょっとだけ幸せのことについて考えました。それ自身は全く皆様が思われるような哲学的な命題ではなくて、「光って」「音が鳴る」「食べると美味しい味がする」の3点セットが全て揃ったsomethingがある日突然開発されてくれねえかな〜みたいな妄想をしていた、という意味です。(私はそれを”本当の幸福”と呼んでいて、大学の2年くらいの頃からずっとそれを探しています。2年目からはLSDに手を出しちゃえば何を食っても幸福達成できる気がして入手に躍起になったのですが、ある日めちゃめちゃヤバい「気配」を感じてからは、一切の活動をとりやめて、この話もまた誰にもしてきませんでした。……もし読者の方で、LSD以外の方法で”本当の幸福”をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただければ幸いです。)

まあ、普通はそんな夢みたいなものあるわけないですよね。よって人生の休憩時間になんの気なしに条件反射でYou Tubeを開いた僕は、蜂とカマキリが戦ったり、ただただねずみが罠に引っかかるだけみたいな、明らかにインターネットになんらかの刺激を求めてひたすら現実逃避する、という遊びをやっていました。これを時間浪費ごっこというのですが、まあ、本当に不毛ですね。

そんなとき、ふと僕はYou Tubeの検索窓に「公園」って入れてみたんですよ。

実は僕、地元はまあまあの都会だったんですが、実家はそんな都会の中心部からちょっと離れた街の丘の上に立つマンションで、なんとその足元には公園が併設されているっていう、ちょっと良いカンジのところで生まれ育ちました。(えへへ!)

まあそのしわ寄せが両親にかかっていて、最寄り駅まで片道30分とかいう地獄みたいな辺境だったんですけどね。わざわざそこを選んだらしくて本当に親には頭が上がりませんが、小さな頃はとにかくマンションを出てすぐ公園で遊べるという素敵に溢れた毎日でして、感謝の気持ちがなお一層強い、みたいな感じです。親という生き物ってほんとすげぇなって今では思いますね。片道30分って、毎日帰りはタクシー使いたいレベルです。

そういうわけですので、現代の生活って僕には公園が足りなさすぎるんですよ。本当に毎日毎日飽きもせずドッチボールやおにごっこ遊戯王やその他無限を遊び倒したあの公園、そう、俺の魂がいつも帰りたがるあの公園! 久々の帰省で時の流れを教えてくれる、いつも背中を押してくれる、大好きな、ちょっと大きなきれいな公園。

公園、公園、公園……。

そんな僕がYou Tubeで公園と検索しだしたことは、しかし、ちょっとした奇跡と言って良いものでした。僕は僕自身の経験を絶対視している愚者ですので、どんだけ賢者が「あの公園良いよ〜」なんて言ってもいくらでもマウントを取る覚悟だったわけですね。「お前その公園の好きなところ100個言えんの?」と井上尚弥のパンチみたいに早くて鋭い攻撃を、公園に限って僕はできると信じています(まあ、パンチはマウントではないですが)。

でも、ひとことでいって、僕はもう限界だったんです。公園欠乏症は、僕の体を極限まで蝕んでいると言って良かった。僕はいま大都会に住んでいて、ここも本当に良いところです。でも住み慣れてきた頃になって、また次の転居の話が見え隠れしてきました。

公園へのノスタルジーと、次の一歩(かは大いに疑問ですが)を踏み出さなければならないプレッシャーとの挟み撃ち……LSDもとい”本当の幸福”のことを考えてしまうのも無理からぬことであります。もっというと人生そのものがギリギリいっぱい、ほんと墜落しないギリギリの、エンジン一基潰れて飛んでる飛行機みたいなもんですから、とにかく現実逃避の選択肢ばかり見えてしまうんです。

そうして僕は信念を曲げて世界にあふれる公園の光を受け入れることにしました。ま、半分くらいは公園成分を動画で摂取するという発想が単になかっただけなんですが。

するとですね、コレ本当に驚きました。なんと公園動画、めちゃめちゃ大量にアップロードされているんですよ。まじでビビるくらい。しかも再生数がこれまた尋常ではなく、ちらっと見ただけで1800万回とか1900万回とか再生されているんですね。僕はかつでゲーム脳だった頃、同時にニコニコ動画にも完全にのめり込んでいたのですが、当時はちょうどマクドのドナルドが登場するCMにキチガイじみた編集を施した動画がニコニコ史上初の1000万再生を突破するかしないか! というお祭り騒ぎのど真ん中でした。あの頃の熱量は本当に地球を破壊するくらいのエネルギー(実際にそんな動画が流行っていた)だと思っていたのですが、まあざっとそれの倍くらいあるわけです。だから僕が震えながら「あのドナルドの倍くらいキチガイな公園なのか…?」とおっかなびっくり再生ボタンを押したのは、用意にご想像がつくことかと思います。



だが、そこにあったのは幸せそうな母と子の、ごく当たり前の日常風景だった。それも脚色など一切ありそうにない、ごく自然で、力みなく、風に吹かれてそよぐ木々の枝葉が奏でるなんでもない環境の音そのもののような日常だった。僕の目の前で繰り広げられたのは、あのドナルドの洗脳まがいの「らんらんるー」が如き狂騒ではなく、ただの笑顔、ただの笑い声、ただの美しい公園だった。「総天然色」とあえて言ってみたくなるような、色付きであることに感謝したくなるような、そんな不思議な世界だった。

僕は極めて退屈なものを見たとでもいうような仕草で、ふんと一度せせら笑ってから動画を閉じた。だが、実際には僕は続きを見ることがもうできなくなっていたのだ。

そこには、求めていたものはなかった。だが不思議と、僕が本当に求めていたのはこれだったのかもしれないと思わせるものがあった。それは本当ならば静かで優しいもののはずなのに、僕には暴力じみた勢いで心に飛び込んでくる銃弾のように卑怯で避けがたいもののように思えた。実際、僕は自分が本当に求めているものがこれだとは認めたくなかった。だが鉄砲に勝つことなんてできないから、僕は踵を返して逃げだしたのだ。背中を撃ち抜かれないことを祈るおまじないを、心の中で何度も何度も繰り返しながら。